復活期す広島商野球部

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2008年06月13日 朝日新聞 井上明 高校野球歳時記


広島市民の足として親しまれる市内電車。広島電鉄江波線の電停から数分、住宅街の中に学校がある。地元では「県商(けんしょう)」とも呼ばれるが、全国的には「広商(ひろしょう)」で通る。

校門の脇に優勝記念碑があり、新しくなった本館の玄関には優勝旗や盾が所狭しと並ぶ。選手権大会優勝6度は中京大中京(愛知)と並ぶ最多記録。紛れもない名門校だ。校舎と体育館に挟まれた校庭が、その下地を作ってきた。

広島市民球場のサイズに合わせて作られたダッグアウト。91メートル先の左翼はネットで囲んでいる。以前はサッカー、軟式野球部などと共用だったが、優先グラウンドになり環境はよくなった。

丸刈りに制帽姿の野球部員は一目で分かる。授業を終えると、ネット裏の部室まで駆け足で向かい、足を止めて「コンニチハ」と大きな声であいさつする。伝統的な所作が脈々と息づいている。

70回大会(88年)に26犠打の大会記録(当時)で優勝したが、その後の選手権出場は04年だけ。昨夏は広島大会3回戦でコールド負けの屈辱を味わった。2度目の指揮を執る田代秀康監督(52)は1月の練習開始にあたり、「原点回帰」を訴えた。「広商」らしさを取り戻すのが狙いだが、古豪復活の道のりは険しい。

◇気質変わり、復活は試行錯誤

広島商グラウンドのダッグアウトに張り紙がある。「胸を張れ!広商生としての自信と誇りを取り戻そう」。照れくさい言葉ではあるが、それほど切迫した状況にある。

70回大会で同校を優勝に導いた川本幸生さんが監督に復帰していたが、昨年4月に体調を崩して休養。田代監督に代役が回ってきた。「現役時も代打が多かったから」と笑うが、就任前に練習試合を見た時は「正直いって、受けるのをためらった」という。

再登板して約1年。今も練習中、ノックを見ていて、ため息をついてしまう。「送球が雑やなー」。確かにワンバウンドなど悪送球が目立つ。

前回の監督時(82年秋から3年間)は厳しい指導で夏の甲子園に2回出場させた。ミスをすれば反復練習を繰り返し、その練習量で自信をつけさせた。20年以上の月日が流れ、選手気質も変わった。怒鳴ったりすれば萎縮してしまう。冗談も交えながら、丁寧に欠点を修正する。

限られた時間で、いかに効率よく練習するか。OBをコーチとして招き、体力作りにヨガも今春からとり入れた。ベンチ前に防球ネットを備えるなど、環境整備も進めている。学校、OB会などとの調整を図る田代監督は「監督というよりもチームマネジメントです」。試行錯誤が続く。

◇現代っ子 精神強化目指す

昨夏の甲子園で広陵が準優勝した。ライバルの躍進ぶりが目立つ。さらに広島商出身の指導者が率いる如水館、総合技術など、新勢力にも苦戦が続く。好素材の中学生が他校に流れる傾向に、“本家”としても危機感が募る。

55回大会優勝時の迫田穆成監督(現・如水館)は「広商に限らず、1球に対する執念が希薄になってきた。チームを強くするには学校、OB会など全体のバックアップが必要」と指摘する。伝統校ゆえの風当たりの強さを排除し、指導者のやりやすい環境を作らなければ、というわけだ。

春の県大会は3回戦敗退。今月初旬に広商で行われた高松との練習試合では、投手陣が四死球を連発した。荒れた試合内容に、田代監督は「同じ繰り返し。学習できていない」と渋い表情を浮かべた。

真剣の刃渡りなど精神修養を重ね、甲子園で2ランスクイズやスリーバントといった秘策を決めた。創意工夫こそが「広商野球」の原点だ。田代監督は「選手が自らを磨く雰囲気を作りたい」。歴史の重みを伝えながら、現代っ子気質を加味した指導で精神強化を目指す。広商野球が復活すれば、広島全体の地盤沈下もおさまるかもしれない。


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