つながる「広商野球」

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中国新聞に広商野球部OB15人が広島県内の高校の野球部監督をしているという記事が掲載されましたので、紹介します。

2010年11月9日 中国新聞


戦前から広島県の高校野球界をけん引してきた広島商。今夏の時点で、県高野連に加盟する99校のうち、同校出身の監督は15人で最も多い。緻密(ちみつ)でそつのない「広商野球」を学んだ選手が指導者となり、広島の高校球界に貢献している。

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▽指導法・人脈生かし実績

15人は2位の広陵の4人を大きく引き離す。今夏の広島大会ではベスト16のうち、7チームの監督が広島商出身だった。

最年長は如水館の迫田穆成(よしあき)監督の71歳。最も若いのは呉商の荒谷忠勝監督の34歳。50代以下の12人のうち11人は教員としてグラウンドに立つ。

広島商OBの監督が増えたのは、同校出身で2006年に死去した故畠山圭司氏の教えがある。畠山氏は教員として母校に赴任。通算18年、監督や部長を歴任した。「広商野球部に在籍した者は、野球界の指導者として要請される」と、同校野球部100年史につづっている。

畠山氏以降、約30年間は野球部OBの教員が少なかったこともあり、部員に大学進学と教職選択を勧めた。その結果、50代前半より若い世代で教員志望者が増え、指導者として県内各校に赴任した。

代表格が46歳の小田浩監督(総合技術)。西条農を率いて1991、93年に夏の甲子園に導いた。総合技術でも07、08年に夏の広島大会で準優勝。「広島商で学んだことがベースになっているが、選手の特長を見極めて指導する。『基本に忠実に』を大切にしている」と明かす。10月の秋季中国地区大会は3位で初の選抜出場に望みをつないだ。

呉商の荒谷監督は、高校時代に受けた指導法にあこがれ、高校野球の監督の道に進んだ。「技術よりも心が大切だと学んだ。野球に対する心構えの指導を徹底している」。練習試合や合同練習なども広島商人脈を生かし、レベルアップを図る。今春の広島県大会で39年ぶりに4強入りを果たした。

如水館の迫田監督は選手、監督として夏の甲子園を制した。「(後輩たちに)頑張れという気持ちはあるが、ライバルでもある。まだまだ負けられない」と息巻く。

盈進の野球部長を務めた経験を持つ、県高野連の阿蘇品太浄理事長は「各監督とも選手時代に学んだ広商野球をアレンジし、独自色を出しながら、広島の高校野球界を盛り上げている」と評価している。

広島商は04年の夏以来、甲子園から遠ざかる。好敵手・広陵の充実や、広島商OBが指導者として力をつけ、母校の前に立ちはだかっているのが要因だ。「広商野球」は、のれん分けされた形で県内に広がり、伝統が引き継がれて新たな歴史を刻んでいる。(川手寿志)


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