カープ中東選手の紹介記事

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2008年6月23日 サンスポ 広島・中東、名前を「直瑛」に改名
セ・リーグは23日、広島の中東直己外野手が「中東直瑛」に改名したと発表した。
  


2008年2月25日 日刊スポーツ 広島中東、脚魅せた
中東が24日、好走塁でアピールした。
5回、栗原の代走の一塁走者として登場すると、鞘師の左前打で一気に三塁を陥れ、森笠の浅めの犠飛で生還。6回には中前適時打と盗塁をマークした。「ああいう走塁が武器の1つ。あれくらいやってもらわないと困ると思われているでしょう。盗塁は投手を見て自分の判断で走りました」と振り返った。
 
 


2007年2月28日 日刊スポーツ 広島外野手「中東」開幕マスクある!?
 
プロテクターを着け、笑顔を見せる中東 (撮影・外山哲司) 
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倉さん、石原さん、ちょっと待った! 広島の大学・社会人ドラフト5巡目、中東直己外野手(25=ホンダ鈴鹿)に仰天の「正捕手プラン」が持ち上がった。27日、ブラウン監督がその実力を高く評価した上で、倉らと競争させると明言した。捕手として、かつて大学日本代表に選ばれた中東も本気だ。日南キャンプはこの日で打ち上げ。振り返って指揮官は「92点」と大満足の採点だった。
 
3月30日、阪神との開幕戦。京セラドームのマウンドに上がる黒田。その18・44メートル先には抜群の相性を誇る倉が座る…。当然と思われた光景が、実現しないかもしれない。それほど、ブラウン監督の中東評は高い。外野手や打者としてはもちろん「捕手」としても、だ。
 
「中東が倉や石原のライバルになり得るかって? 現時点で彼はもう競争に入っているよ。ライバルとの競争はいいことだ。最初はブランクがあったが、今はリラックスしてプレーしている。前に、最低でも3番手捕手になれる力があると言ったが、それ以上の可能性もあるよ」。
 
指揮官は「ライバル」と言った。つまり、中東が正捕手の座を射止めても、もはやサプライズとは言えない。中東は「競争だと思います。やるからにはそこを目指してやる。(開幕から)出られるように頑張る」と本気モードだ。
 
以前から温めていたプランだった。ドラフト前に、最終的な指名選手の確認をしていたときのこと。ブラウン監督はビデオで2年前のJR西日本・中東捕手を見ていた。「キャッチング、リリース(送球)。レベルが高い捕手だった。いけると思った」。走攻守3拍子そろった外野手としての評価も高かったが、それ以上に「捕手」の能力が指名の決め手になった。
 
東亜大4年で捕手に転向。中学でかじったことはあったが、遊撃や外野が専門だった。だが、マスクをかぶると生き生きした。小柄は関係ない。抜群の運動神経を生かしたキャッチングと強肩で、4年秋の明治神宮大会を制した。大学日本代表にも選ばれた。就職先のJR西日本でも中国ベストナインに輝いた。
 
その後、JR西日本野球部が休部に。ホンダ鈴鹿に移籍してからは「自分の足と肩を最大限に生かすため」と、外野手に専念していた。2年間、マスクはかぶっていなかったがブラウン監督のもとで再生した。25日のオープン戦で途中からマスクをかぶり青木高を好リード。「捕手っぽかったでしょう」と胸を張る。
 
正捕手争いは倉、石原の一騎打ちと思われていた。だが監督は「捕手は打撃力を優先する」と断言。捕手として及第点のレベルを誇る中東は3月のオープン戦でもマスクをかぶる。攻守両面でのアピールを続ければ、1カ月後には「8番キャッチャー中東」のコールが響くかもしれない。【柏原誠】

2007年1月7日広島東洋カープ 中東直己選手 激励会 by東亜大学硬式野球部
ホテルグランヴィア広島で「広島東洋カープ 中東直己選手激励会」が行われたときの模様です。写真多数、必見です。

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